2007年5月28日月曜日

玄義 その1

 天台は、仏教と言うものをたった一つの教えであることに気が付いたのです。それは、法華経の中にある第四章の中で、お弟子であるモクレン(モッガラナー)やスボダイ、マカカショウ、マカカセンネンの偉大内な四人阿羅漢たちが、仏様に対して釈尊の教えを理解した内容を譬え話で答えられるところがあります。

 その時の内容から、釈尊の教えに五つの時期があると考えたのです。それと言うもの、この五つ時期は期せずして、翻訳されたお経の中、特に教えを受けられる方々で同じ人物でありながら、尊称される名前の違う箇所があることに注目したのです。その使われている名前の時代考証をしてみて教えを縦の時間的流れに配当すると全くその物語の五つの時期と同じであることがわかったのです。

 そして、仏様の教えは一つの理念によって教えと言うものを説かれていると言うことに気が付かれたです。このことによって天台は、仏様の教えすべてを統合しなければと言う結論に達したのです。

 その五つの時期については、前回でも言いましたが、もう一度見てみると。仏様の教えには、縦である時間的経過と横軸である学ぶ人々の心根と理解度と言うものを組み合わせることによって、一切の仏教、つまり釈尊の深意が我々のものになることを教えんがために体系化したのです。これを教しえの相(すがた)を学ぶことであるから、教相と私たちに教えられたのです。

 つまり、ブッダ一代の教えは、本来一つであると前提に立って、妙法蓮華経と言うものを捉えなさいと教えておられるのです。 まず、妙法蓮華経とは何を教えられてるのか?と言うことが大事なのです。そのためには、仏様の教えと言うものをしっかりと把握しないと解らないのです。ですから仏様の教えは、竪と横のすべてで八つの教え見ることができます。その八つの教えが時間的経過と学ぶ人々の心の状態が基本としてあるのです。例えば、青年期の人と老年期や幼少期によって選ぶ言葉は違います。その時に教える人がその人がどのような言語を理解しているかと言うことを察せずに闇雲に伝えようとして伝わらないのと同じです。この竪と横と言うのは、物事の経緯のことですので、経と言う文字を使うのです。スートラと言う言葉は、物事の経緯と言う意味があるのです。

 その事をふまえて、次に妙法蓮華経と言う教えの名前はどうして付けられたのかと言うことが大事なのです。 この妙法蓮華経とは、全ての仏様が悟られている法なのです。そしてそれは、一切の仏様のパワーの源なのです。さらに、一切の仏様の修行された原因と結果の成果も含まれている蔵なのです。しかも、見えない世界や見える世界のすべての出来事の中心となるもの因果なのであり、それが妙法蓮華経と言うものなのです。

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